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アニメとゲームのことを書きます

映画という枠を越えた体験 『映画 聲の形 inner silence』極上音響上映の話

 6月24日、立川シネマシティにて『映画 聲の形 inner silence』極上音響上映が開催されました。
 これは『映画 聲の形』のBD/DVDに特典として収録された"とある音声トラック"による特別バージョンの映像を、立川シネマシティが一日限りのイベントとして上映したものになります。
 これが通常版と異なるのは「台詞およびSEは一切無く、全編にわたって一つのアンビエントミュージックだけが音声として流れる」ということです。
 どうしてこのような異例のイベントが生まれたのか、そしてこの上映を通じて僕が感じたこと・考えたことを書いていきます。
 
(こういう音楽(+ノイズ)が約2時間にわたり続きます。)
 
【背景と概要】
 『映画 聲の形』は2016年9月に公開されたアニメ映画です。本作の音楽を手がけるのは「agraph」名義でエレクトロニック・ミュージックをリリースするほか、アニメ『ピンポン THE ANIMATION』の劇伴を担当したアーティスト・牛尾憲輔。一般的なアニメ作品とは異なり全編にわたりアンビエント色の強い劇伴が用いられており、繊細美麗な京都アニメーションの作画と重厚なストーリー・演出を見事に受け止めた素晴らしい音楽となっています。
 この劇伴の原型となるコンセプト音楽には「バッハのインベンションを元に加工・合成した音響が全編にわたって流れる」というアイデアを用いたものがあったものの、実験的すぎるということで本制作では採用されませんでした。そのコンセプトを再構成し完成させたものが『inner silence』という音声トラックです。
 『inner silence』では台詞も効果音もありません。さらにはメロディのある音楽でもなく、少数のピアノ音とノイズなどから成るいわゆるアンビエントミュージックとなっています。それは牛尾氏によれば、「他者の声に耳を塞いでいる将也や、聴覚障害のある硝子にも"聞こえてしまう"音」であり、「将也が生まれ直すという物語の練習曲」というアイデアに基づくものであるとされています。このきわめて特殊なバージョンの上映が、極上音響上映で知られる立川シネマシティのもとで実現したのが今回のイベントとなります。
 
 
【感想】
 まず一言で言うと、大変素晴らしい体験でした。
 
 台詞もなくメロディを楽しむというのとも違う今回の上映は本当に面白いのかというところですが、キャラクターの発言や音楽に気を取られることもある通常の上映と異なり、映像や演出への集中が高まるとともに、作品の鑑賞を通じて自分の中に生まれた感情や思考にゆっくりと向き合うことができるというところが大きな醍醐味だったと思います。映画というものは2時間の枠があり、その中に切り詰められ圧縮された様々な情報が存在します。その情報量によって我々は圧倒されるような感動を覚えることになるわけですが、ともすればそのとき感じたこと・考えたことを置き去りにして次のカットへと進行していかざるを得ないときもあります。(だからこそ、時に同じ作品を何度も見直すことになるのです。)その点で『映画 聲の形』が素晴らしいところは、牛尾氏が本イベントの舞台挨拶で指摘したように、原作全7巻を再構成し映画にまとめたことでともすれば早くなりすぎるテンポを中立的な劇伴が中和することで作品のバランスが保たれているところにあります。その方向により進んだところに本イベントはあり、あえて情報量をカットすることによって自らの内面に向き合う時間が広く確保されることで、より高い強度で作品を吟味し自分の感動をクリアーに理解することができるのです。こうした作用があることは今回の鑑賞までまったく思いもよらなかったことであり、ひとつの映画と向き合う方法には様々な形態がありうるのだと大きな学びとなりました。
 
 また、アンビエントミュージックと劇場の音響環境があわさり、「まるで胎児のように、"音楽の中"にいる」という心地よさを感じられたことも大きな魅力でした。これは特に音響設備に力を入れている立川シネマシティの設備と、そのたった一つ・たった一度の上映にあわせた牛尾氏の調整によるところが大きいことは間違いありません。高級な音響は劇場で映画を見る醍醐味のひとつですが、今回は映画鑑賞という枠をひとつ越え、より抽象度の高いレベルでの芸術鑑賞となったと言えるでしょう。それは映像が主体でもなく音楽が主体でもなく、作品を介した"自らの内面"が主体になるという体験であるからです。これがいわゆるサブカルチャーに属するアニメ作品から生まれ出たことはまさに驚くべきことではないでしょうか。日本のアニメカルチャーの大きな可能性の一端を垣間見たような気持ちにさえなります。
 
 こうした上映スタイルが成立するのは、何度見ても飽きない作品自体の奥深さと立川シネマシティの音響設備があってこそであり、作品・音楽・劇場のすべてが噛み合ったまさに奇跡的なイベントだったと思います。改めて『映画 聲の形』の尽きない魅力を感じるとともに、普通では決して味わうことのできない映画体験を得ることができたことで、本イベントに参加して本当によかったと思います。
 
 
【Appendix】
(1) 本イベント上映についてはRealSound映画部によって素晴らしい解説がなされた記事があるので、ぜひこちらもご参考にしていただければと思います。
 
(2) 『inner silence』とアニメーションの情報量について大変的確な指摘を行われているブログがあったので、僭越ながらこちらにご紹介したいと思います。

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